2018-07-11 第196回国会 参議院 政治倫理の確立及び選挙制度に関する特別委員会 第8号
他方で、一般論で申し上げれば、多様な民意の反映は比例区のみで実現するものではなく、選挙区においても多数代表制や少数代表制の選択等によって配慮するべき事項で、かつ、地方の意見をくみ上げられるような制度も都市化と過疎化の中で検討するべき事項と考えています。
他方で、一般論で申し上げれば、多様な民意の反映は比例区のみで実現するものではなく、選挙区においても多数代表制や少数代表制の選択等によって配慮するべき事項で、かつ、地方の意見をくみ上げられるような制度も都市化と過疎化の中で検討するべき事項と考えています。
飯尾参考人は、衆議院は政権の安定のために多数代表制、これに対し、参議院はバランスを取るために少数代表的、少数者がたくさん出てくるような選挙制度を考えることと述べています。竹中参考人は、衆議院の選挙制度との関係も考えるべきで、衆議院の小選挙区は政権選択、参議院は多様な民意を反映させることと述べています。
そう考えたら、それをバランスを取るためには参議院は少数代表的だということになりますので、少数者がたくさん出てくるような選挙制度を考えるということ。これはなかなか、世の中の選挙制度はいろいろ考えても難しいことは多いのでございますが、そういうことを考える。
特に、投票価値の平等との関係で、今、都道府県選挙区の見直しということが一つテーマになっておりますので、今私が申し上げたような観点からも、例えば少数代表機能をもう少し強化したような選挙制度を考えてみるといったことも検討されてよいのではないかと、こう考えておる次第でございます。
そうしますと、当然、少数代表機能を強めるという選択肢になってまいりますので、例えば衆議院についても参議院についてもそれぞれ考えられるところはあるだろうというふうに思います。ただ、実際の政治状況を考えますと、先ほどの御質問の答えにもありましたように、やはり参議院を考えてみるというのが現実的な一つの選択肢なのかなと、そんなふうに思っております。
あとは、少数代表制という言葉が学術用語としてありまして、中選挙区制のように少数の代表も送れるようにという言葉でありますが、これは戦前、東京帝大の野村淳治がつくりました造語でございまして、外国の文献には全くありません。したがって、選挙制度を議論するときは、基本は、比例代表なのか、小選挙区のように多数を代表する多数代表なのかという点を押さえていただきたいと思います。
例えば、比例代表制を採用する、少数代表的な機能を強調する、あるいは地方分権を進めるとか、あるいは議事手続で少数派を優遇する、さまざまなメカニズム、一院制の中でも考えることができます。しかし、人口規模がある一定の限度を超えると二院制を採用する例がふえてくる。
○牧之内政府委員 選挙制度を考えます場合に、選挙人の意思を当選人の決定にどのように反映させるかというような視点から見ました場合には、よく言われますように、多数代表制、少数代表制あるいは比例代表制というように大きく区分をできるということでございます。
例えば日本の中選挙区制度は、比例代表制に近い少数代表法でありますが、世界でも類例のない一党支配の長期政権が続いております。中選挙区制は比例代表制ではないということが言えるかもしれませんが、しかし、比例代表制に近いそういう制度でも、いわば超安定政権が続いているというのが日本の状況であります。
それから、大きく二つ目に「選挙の方法」として、「間接選挙制から直接選挙制へ」、そして次に「強制投票制から任意投票制へ」、そして三番目に「公開投票制から秘密投票制へ」、そして四つ目に「多数代表制(たとえば小選挙区制・大選挙区連記制)から少数代表制(たとえば大選挙区単記制・大選挙区制限連記制・比例代表制)へ」、こういう世界の選挙制度の大きな流れについて記述をしているわけであります。
二名のところは一番たくさんとった人と次の人、これは違う政党 の場合も当然あるわけでありますから、いわゆる最大の代表じゃなくても、その次の少数代表も入れる。三名になればさらにそれが広がっていくという可能性があるわけですね。定数一名のところが亡くなって補充される場合には、補充しても同じ性格の選挙が行われるわけです。
しかしながら、私は、少数代表が幾ら集まってもそれは少数代表の集まりであって国家の意思とは言えない、そのように思っております。 それは先般の選挙で痛感をしたことであります。
○石破委員 重ねて総理にお尋ねをいたしますが、私は、少数代表の集まりはしょせん少数代表の集まりでしかないというふうに考えております。国家の意思の形成というのは、やはり多数を得た者の集まりでこそ初めて国家の意思だ、それが議院内閣制をとる我が国の使命だというふうに信じます。 そしてまた、反対をされる方の中には死票が出ると言う方がおられます。しかし、死票という言葉は世界のどこにあるか。
その次の四番目に「多数代表制から少数代表制へ」というふうに変わっているということが言われています。それは近代選挙制度の発展の動向であるというふうに言われていますね。その発展の動向は「国民・選挙民の意思を公平且つ合理的に反映せしめるという目的のために選挙の技術的方法を発達せしめてきた歴史的経緯を示すもの」である、こういうふうに言われています。
ですから、大きな方向として私は、多数代表から少数代表へ、そしてそれの一つとして比例代表へ、それから日本の中選挙区制というのは少数代表の一種であるという、それは言えると思うのです。 それで、そういう点だけから申しまして、中選挙区制から小選挙区制へというストレートな変更だと、何かそういう傾向に逆行するように見えるかもしれません。
今日のようにさまざまな考え方が国民の間にある、一党が過半数をとることができない、こういうもとにおきましては、私たちは選挙制度として比例代表が加味されなければならないと思っているわけでありますが、こうして少数意見を代表する、民意反映ということであるとするならば、中選挙区制というものは、大きく分けますと準比例代表と分類される立場もありますけれども、基本的には、少数代表制というのが日本の中選選挙区制の位置
○中山(利)委員 今この院内でも、自民党の中でも、また今御報告がありましたように、本当にいろいろな議論、いろいろな案というものがたくさん出ているわけでございますが、結局は多数代表制にするのか少数代表制にするのか、どちらをまず選ぶのかということが一番初めに来る課題であろうと思います。
結論としては、多数代表制に重点を置くか、少数代表制に重点を置くかということになろうかと思うのでありますが、これは全くの私見ですけれども、この論議を進めていく上で、何かたたき台がなければ論議というものは進んでいかないのではないか。特にこういう選挙制度のようにいろいろな意見がある、方法がある問題については、やはり一つのたたき台が必要ではないかと思うわけであります。
○森(清)議員 その判決文は私は記憶はいたしておりませんが、現在の中選挙区制というのは、選挙制度の本質論からいえば、いわゆる少数代表法というべきものであろうと思います。それに対して多数代表法というものが小選挙区を代表とする例であります。
しかし、方向としてそのような考え方を国会議員が持つということは、私は国民の現在の率直な気持ちから察しまして、私どもも十分に心に置いて今後考えていかなければならない問題であろう、かように存じておりますけれども、現在ございます制度で、新しく定数を設けるのであればよろしいのでございますけれども、現在の定数を前提にして各政党が存在をしておられる、全国区は非常に少数代表の性格の強い制度でございますので、この数
○金丸参議院議員 わが国の全国区の制度は、八千二百万の有権者を基礎といたしまして、五十名の議員を選ぶという制度でございますので、世界に類例のない少数代表制度と申してよろしいのではなかろうかと思います。
小選挙区制度をとれば別でございますが、比例代表制度を単純にやりますと、いまの中選挙区制度、つまり少数代表選挙制度とも選挙学上言っておるようでございますが、それに比べて小党分立の傾向が出てくる。そうすると、政局の不安定ということになりはしないか。したがって、この際、今度金丸先生が考えられたところのこの案は、やはり参議院として考え、またしかしこれを完全に日本の社会に溶け込ませるのには時間がかかる。
現在は、御承知のように選挙学上の多数代表制とか少数代表制とかありますが、この全国区制度は少数代表制と考えれば、五十人という定数のために多くの政党の方々が当選されておる。長らくこれを積み重ねてきまして、その選挙結果を見てみますと、一昨年の参議院選挙の全国区の選挙結果を基礎にして適用してみたら現在とそう変わらない。そこに大きな変動もないから比例代表制度にしても差し支えないという御判断があったかどうか。
○金丸参議院議員 現在の全国区の制度は少数政党も必ず出られるということでございますので、どちらかと申しますと小選挙区制のような、多数代表ではなくて、むしろ少数代表制の制度だ、こういうふうに申してよろしいのではなかろうかと思います。一人一区ですと大政党が勝って、一票差で議席を全部取ってしまうということがございますけれども、全国区制度はそれがないわけでございます。
また、先ほども本法案は比例代表ということで、少数代表の確保という点で国民の期待に沿うものであるというお話もございましたけれども、まあ比例代表には明るいと言われる慶応大学教授の堀江湛教授が参考人としてここでお述べになったことも、いまの参議院全国区は比例代表制と全く同じだと、またそれ以上に機能を果たしているという陳述もあったわけです。